家と人

家の本質=宮

家とは何か。人が多くの時間を過ごす家は人の心と人格形成にも大きな影響を与えます。 居心地の良い空間はそこに住む人に安らぎを与え、ゆとりを与え、明日生きるための力を与えます。また同じように家も住む人によって影響を受けます。 どんなに立派な家を持っていたとしても日々掃除をしなければたちまち汚れ、ゴミだらけの居心地の悪い空間になるでしょう。素敵な庭があったとしても草むしりをし、花には水をやり、木々の手入れをしなければたちまち荒れ果ててしまうでしょう。つまり家にはそこに住む人の管理、手入れが必要であり、住む人によって家は良くも悪くもなるということです。

わたしたち「人」が 神の住む家

私はクリスチャンで聖書を読む事を習慣としているのですが、聖書にはとても興味深い考え方が出てきます。私たち「 人 」が神の住む家だというのです。 『あなたがたのからだはあなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。』ここで何が言われているかというと、聖書の示す神様、イエス・キリストを受け入れると人の心に神様が(ここでは聖霊と表現されています。)住まわれるというのです。つまり人は家(宮)であり、そこに神様が住まわれるのだと教えているのです。そして人が良い生き方、良い行いをするように働いてくださるというのです。そうした時に、始めに家は住む人によって良くも悪くも変化すると話しましたが、もし神様が人の内に住まわれるのだとしたならば、そのことの影響が必ず表に出て現されると思いました。

先ほどの聖書の言葉の最後に『自分のからだをもって神の栄光を現しなさい』とあります。つまり、内に住んでくださっている神様が良い働きをするための力を与えてくださるのだからその事に信頼し、日々の生活の中で困っている人に手を差し伸べたり、人を励ましたり、助けを必要とするところには手助けをし、愛の実践を行っていくということです。人がそうすることによってそれを行うための力を与えてくださった神様の素晴らしさがそこに現れ出ると教えているのです。 例えばマザーテレサの事を考えてみるとよく分かるのではないでしょうか。彼女は自分のからだを捧げ、困っている人々のために生涯働き続けました。その素晴らしい働きを思った時、愛なる神様の素晴らしさが(つまりは栄光が)現されている事が分かります。彼女はまさに自分のからだをもって神の栄光を現した人です。

そこで、聖書の示す神様を信じる人々、クリスチャンと呼ばれる人々のポートレートを撮影しようを考えました。
神様が住まわれる家としての人の写真。そこには単なるポートレイト写真とは違った何かが映し出されるはずだと考えました。
今回は40名に白い服を着てもらい撮影を行いましたが、それは聖書の最後の「黙示録」というところに神を信じ勝利を得る者はやがて白い衣を着せられて神の御前に出るという記述からきています。そして上を見ているのは神様を仰ぎ見ている姿です。
人の内側に神様が住まわれているからこその輝き、希望や光を写真から感じ取ってもらえれば嬉しく思います。

再定義と可能性

家と人は密室な関係であり、良いことを行えば人も変わり住む場所の纏う雰囲気や色、空気が変わることと思います。反対に例えば余裕がなかったり、焦ったりしているとき家も比例することでしょう。人が変わり、家が変わり、家の周りを形成するものも変わり、連鎖を繰り返し変化を伴っていきます。
家の新しい本質「宮」とは、聖書にあるお言葉から価値観をいただいたこと、また人を形成するプロセスと家を形成するプロセスと本質的に同じと感じたことから生まれたものとなります。

例えば「未来の家」で秘められる輝きや光を感じられるようになれば、人や未来、その場にある価値はどうなるのでしょうか。それが「家」の中にある一部の空間で体感できるのか、それとも別なことで疑似体験ができれば変化するのではないのでしょうか。太陽信仰があったように光は勇気を与えます。常に人は前を向いて歩いて行けるものではありませんが、「未来の家」で輝きや光を感じられると変わるきっかけとなり、形成全てのものに良い影響を与える可能性があるかもしれません。新しい「家」の価値として生まれるものかもしれません。

message

この制作で多くの日本人にとって知る事のなかった新しい価値観を提示できたのではないかと思います。恐らく多くの人にとって聖書というものは馴染みがなく、そこに何が書かれているのかも知らないだろうと思います。しかし、そこには人を内側から変える力ある言葉がたくさん詰まっているのです。そのことをこの写真を通して少しでも知るきっかけとなれば嬉しく思います。 by Franco Tadeo Inada

人の中には感情、体験、記憶、匂いなど様々なことに付随した情報が蓄積されていて、その蓄積されたものが個々の形を創り出していきます。恐らく全員と言って過言ではないほど皆さん感じている部分ではないでしょうか。家も同じく住んだ人や土地、歴史によって変化します。具体化された言葉はただのテキストでしかなく、共通し感じた部分が家と人の共通する「本質」であること。自分たちが言葉にできないけど何か感じている感情が「本質」を掴むことかも知れません。 by 長川 祥子

profile

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Franco Tadeo Inada

1982年にアルゼンチン共和国のコルドバ州に生まれ、幼少期をアルゼンチンで過ごした後日本に渡る。高校、大学と美術専門の学校に通い、モノ作りを学ぶ。現在は東京を拠点に活動中。 風景や人物が持つ特性や本質とはまた違う、そのものに対するイメージの外にある世界に触れたいと思い撮り続けている。

長川 祥子

兵庫県生まれ。2016年よりマインドフリー株式会社へ入社。現在はiDesign Teamの一員として、主に設計・ディレクターを担当。 学生時に学んだデザイン思考・UI/UX・HCDを生かし課題を元に、改めて問題を定義し、企画・設計を心がけている。「はっ!」と思いつく瞬間や心を大事にしています。